- ボクがノルマンディに泊まるわけ
- 2013.01.29 Tuesday
- category: 旅
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パリではいつも違う宿に泊まる。そう書くと、なんとなくツウっぽい感じに聞こえるかもしれないが、取材で訪れることが多いボクにとっては取材先へのアクセスと宿泊料金が宿決定のすべてなのだ。なので、だいたいの場合は、信頼のおけるコーディネーターさんに相談して推薦してもらったり、そうでなければエクスペディアを眺めながら決めることにしている。そんなボクが1つだけ、2度目の滞在を決めたホテルがある。そのホテルに最初に泊まったのは、初めてパリを訪れたときのことだった。月曜日から取材の予定が入っていたボクは、コーディネーターや現地カメラマンとの打ち合わせのために、チームよりも1日だけ早くパリ入りをすることにした。今ならもうそんなことをする必要はないのだけれど、海外取材に不慣れだった当時のボクは、とにかく不安でたまらなかったのだ。一方で、せっかくだから一泊くらいは会社の予算などを気にすることなく奮発して少しだけいいホテル、いや歴史あるクラシックホテルに泊まりたい、そのために多少なら早く現地入りしてみるのもいい。そう考えたのも事実ではあった。そうしてボクは、月曜日にチームが到着するする少し前、土曜日の夜にパリに入り、2泊だけ自費で格上のホテルに泊まることにした。といっても、ボクの自腹で支払える金額などしれている。選んだのは歴史ある4つ星ホテルだった。装飾美術館の目と鼻の先、プランタンやコレット、オペラ座などにも徒歩で行ける好立地。という条件は、パリバージンで仕事で訪れただけのボクにはほとんど無意味だった。もちろん、そこが伊集院静と夏目雅子が愛を育んだホテルだと知ったのも、それよりずっと後のことである。決め手は歴史ある古そうなたたずまい。そして、翌日からチームで泊まる安ホテルまで歩いて移動できる場所にあるということ。ただそれだけのことだった。シャルルドゴール空港からタクシーに乗り、ホテル到着したのは18時ごろだった。夕方のノルマンディホテルは赤いライトで照らされていて、古い街並の中にぼんやりと浮かんで見えた。フロントでチェックインをすます。カウンターの向こうの男性は、部屋番号をボクに伝えると鍵はコンシェルジュからもらってくれと言った。フロントの向かいがコンシェルジュカウンターになっていた。鍵を渡され、今にも壊れそうなエレベーターで部屋へと向かう。ポーターはおらず、荷物は自分で持つしかなかった。4つ星ホテルといっても、パリでは荷物を持ってくれないのか、そんなことにボクは少しだけ驚いた。上海の和平飯店のときも感じたのだけれど、海外のクラシックホテルには少しの恐さを感じる。ギシギシときしむ薄暗い廊下、少しすえたようなニオイ。ノルマンディホテルの場合には、増改築が繰り返されたような妙な作りになっていて、ところどころに小さな階段がある。そうした構造もなんとなく心をゾワゾワさせた。部屋は高級感はないものの、レトロで雰囲気があった。パリらしいとはこういうことだ。そのときのボクはそんなことを考えた気がする。ただ、なんとなく、少しだけ違和感があったのを今も覚えている。翌日、午後にコーディネーターと待ち合わせをしていたボクは、近所のカフェで打ち合わせをすますと、装飾美術館の書店を冷やかしてから、夕食をとって部屋に戻った。昨日と同じ、不思議な構造をした廊下を抜け、部屋へと入る。そのとき、ふと、机の上を見ると、1枚の布があることに気づいた。ディアスキンのような手触りだけれど、どうやら革ではないらしい。日本ではあまり見かけない清掃用に作られた人工素材の布巾。「なんだろう」まずそう思った。そして次に、「清掃員が忘れて行ったんだな、どういう四つ星だよ」そんなことを思ったのだと思う。そして、その布を手にした瞬間、ボクは愕然とした。「SOS」布にはそこにしっかりとそう書かれていた。薄暗いクラシカルな部屋の中でのメッセージ。さすがにビビった。思わず、トイレやキャビネットの中をムダに覗いてみた。けれど、もちろん閉じ込められている人などいない。耳をすませても声は聞えない。清掃員が奴隷のように働かされているのか、それともやっぱりこのホテルでかつて何らかの事件が・・・悶々としながらボクは眠りについた。翌朝、チェックアウトしたボクは、逃げるようにこのホテルを去った。ボクの最初のノルマンディホテルは、そんな衝撃の中に終わったのだった。そんなノルマンディホテルに、再び泊まることにした。理由は何よりも格安だったから。エクスペディアでの利用者からの評価は最低だった。古い、汚い、マナーがなってない。ただ幽霊が出たとか、助けを求められたというのはなかった。そして何より1万円であのロケーションに泊まれるのは魅力的だった。SOSのことも少し気になっていた。あのとき、どうすることも出来ずに逃げ出してしまったことを。再訪したところで、その謎は解けないだろうけど、なんとなくもう一度泊まってみるべきではないかと思った。2度目の逗留2日目。出かけようとエレベーターホールに向かう途中に事件は起きた。廊下を進み、突き当たりを曲がったとたん、見てはならないものを見てしまった。本来であれば絶対にそこにはいない存在。半裸で匍匐前進(ほふくぜんしん)する男がいた。しかもひとりではなく、二人の隊列だった。前を行く男と目が合うと、彼は前進をやめ、突然起き上がると、壁にもたれL字型に座り直した。そして何事もなかったようにiPhoneを眺める。それでも半裸。雪の降った寒いパリ。ボクは、一旦は慌ててエレベーターに乗り込み1階へと降りたのだけれど、あれが現実に実在した風景なのか、だとしたら何だったのか、気になって仕方がなかった。忘れ物を自分へのいいわけに、もう一度エレベーターで4階へと向かう。エレベーターのトビラが開くと、やはり二人はいた。ひとりの男は階段の手すりを使ってストレッチをするふりをしながら階下から人がこないかを見張っているようだった。もうひとりは再び匍匐前進の姿勢をとっていた。「お前ら、いったい何者だ」ボクは勇気を出して尋ねた。返事はなかった。声が小さかったからかもしれないし、日本語が理解できなかったのかもしれない。それとも、話せない理由があったのか・・・。ムキムキに鍛えあげられた上半身を前に、ボクはそれ以上厳しい質問を投げかけることができなかった。ただひとつだけはっきりしたことがある。やはりこのホテルには、何か救うべき対象がいる。そして、その救出ミッションを遂行しようとするひとたちも。ボクはそう確信し、再びパリの街へと出かけることにした。
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- IWC 名車との邂逅
- 2013.01.26 Saturday
- category: event
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例年のごとくド派手な演出が目をひいたIWC。セレブが集結するパーティではジャミロクワイによるシークレットライブなんかもあって大盛り上がりだった。今年のテーマはレーシング。F1のメルセデスAMGペトロナスとのコラボモデルをはじめインジュニアの新作の数々が発表された。SIHH会場には名車300SLRなどが展示されていた。こんなの見られてラッキー、と思っていたら、なんとジュネーブの町中でこんなのが止まっているのを発見。こちらもシートまで完全オリジナル(?)。こんなクルマなら氷点下のジュネーブでも我慢してオープンに乗りたくなるんでしょうね。クルマ乗らないけど、欲しいと思いました。
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- パネライ SIHH2013にて
- 2013.01.25 Friday
- category: event
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昨年、ブティック限定で発売され、即完売となってしまったパネライの「カリフォルニア」。個人的にもかなり悩んだあげくに買いのがし、やや後悔気味なのだけれど、今年のSIHHにはなんとそのオリジナルが展示されてました。やっぱかっこいいなぁ。ちなみに今年のパネライの目玉はなんといっても懐中時計。チェーンまでもブラックつや消しセラミックで作られた難易度の高いピースです。
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- パリは雪
- 2013.01.21 Monday
- category: event
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明日からのSIHHへ向かうため、さきほどシャルルドゴール空港に到着。すごい雪です。いくつか欠航便も出ているようなので、ジュネーブへの乗り換えが不安でしたが、いまのところ無事でそうな雰囲気です。明日からは修行のような1週間。昨年は熱を出して死にそうな思いをしたので、今年は元気に乗り切りたいと思います。
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- ムチウチ
- 2013.01.19 Saturday
- category: 雑談
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首を左右違った角度から合計6枚。続いて腰も角度違いで6枚。さらに、先ほどのがうまく撮れていなかったのか、首に戻って一度撮ったのと同じ角度からもう1枚。合計13枚にも及ぶ本格的な撮影会だった。その少し執拗すぎるように思えるレントゲン技師の仕事ぶりに、ボクは小さな不安を覚えた。大雪が降った次の日。ボクは転倒した。会社からの帰り道でのことだった。山手通りでバスを降りたボクは、まだまだ雪の残る歩道を一歩一歩ゆっくりと進んでいく。歩道には既に溶けてアスファルトが顔を見せている部分もあったのだけれど、あえて雪の残るところを選んで歩いた。ダナー・マウンテンライトを履いていたボクは、少しワイルドな気分になっていたのだ。信号に差しかかろうとした瞬間、ボクは空を仰いだ。本当に一瞬の出来事だった。気がついたときには、道路の上に寝そべっていた。足を滑らせ思いっきり背中から地面にダイヴ。一瞬の脳しんとうがあり、首と腰がジンジンした。動かずにしばらくじっとしていたい。そう思うほどの衝撃だったが、同時に恥ずかしさがムクムクと頭をもたげる。「どえらい派手にやってしまった・・・」ボクは、何事もなかったかのように立ち上がると、青になった信号をわたり、涼しい顔で立ち去ることにした。プライド。翌朝、最初に痛みが出たのは腰だった。鈍痛。さらに、夕方になると首の痛みが本格的なものに変わってきた。まだ、我慢できないような痛さではなない。激しい運動をしたあとの、筋肉痛のような痛み。普段なら、ほっとけば治る、と思うレベルのものだったのだけれど、今週末からはジュネーブへの出張が待っている。遅れて痛みが出て来たのも、嫌な感じだった。それでも、まさか、この後、あんな悲劇が待ち受けているとは思わなかった。FBでの友人たちからのススメもあり、仕事の合間を縫って病院に行くことにした。何度も再検査をやっている暇はない。紹介状はないけれど、大きい総合病院に行くことにする。病院では、すぐにレントゲン撮影をすることになった。首と腰、あわせて13枚。これまでレントゲンは何度も撮ってきたけれど、これほどまでに入念なものははじめてだった。診察室に戻ると、医師が待っていた。すぐに問診が始まる。首や腰を丁寧に押し、やさしく叩く。痛みの有る無しを聞く。またやさしく叩く・・・。1つ1つ丁寧に話を聞いていく。症状を一通り聞くと、今度は指をやさしくさすった上でこう聞いた。「この辺り、痺れてないですか?」ドキッとした。いや、痺れというほどのものはなかった。なかったけれど、言われてみれば少しジンジンするような感覚はあった。両手の小指と薬指に、寒さでかじかんだような感覚が。申し無さげに、ボクは言う。「そういえば、少しだけジンジンします」医師は小さくうなづくと、パソコンに何やら書き込んだそして、既に届いていたレントゲン写真を開く。難しい顔をした医師は、ゆっくりと話し始めた。「レントゲンを見る限り、すっごくキレイですね。首、まったく問題ないです。腰も普通の状態です」・・・恥ずかしかった。顔面キャンプファヤーだったなんで、キレイな状態ならなんで、痺れがないかとか聞くんだよぅ。どんなトラップなんだよぅ。医師は続ける。「海外出張もまったく問題ないと思いますけど、どうします? なんなら薬出しときます?薬っていっても普通の痛み止めですけど。あと、湿布も出せるけどいります?」おいおいのおーい、ボクに聞かないでくれよ、薬がいるかなんて!薬というのは医師が必要だから出すもんなんだろう。同情なんていらないよ、辱めを受けた後での同情なんて。そのとき、このやり取りが初めてではないという不思議な感覚を覚えた。デジャヴュー。このやりとり、以前にも確かにボクは経験している。去年、ずっと痛かった胃を検査すべく受けた胃カメラ。正直言えば、小さなポリープくらいは覚悟していたのだが、医師からは「驚くほどのキレイさ」と絶賛された。夜、突然、激しい頭痛と吐き気に教われ、嘔吐を繰り返したあげく運び込まれた救急病院では、緊急のCT検査のあと、脳外科医にこう言われた。「症状から脳梗塞を伺いましたが、CTを見る限りまったく問題はみられません。たぶん酷い肩こりでしょう」昨年から、数々の不健康疑惑を払拭して来たことを思い出した。結果として、ボクの体は「極めて健康」。それが、虚弱体質と会社で噂されるボクの真実だった。そう、弱いのは、体ではなく、こころだった。
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- 呪いのタクシー
- 2013.01.18 Friday
- category: 雑談
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週末からの海外出張に持って行くための資料を運ぶため、タクシーに乗り込んだ。「槍ヶ崎まで」そう伝えると、スキンヘッドの運転手は「分かりました」と明るくこたえる。そのいかつい風貌によらず、発せられた声は柔らかい。ドアが閉まると、クルマはゆっくりと走り始めた。金曜日の夜だからか、国道は少し混んでいた。ポケットから携帯電話を取り出し、リダイヤルから自宅の番号を探す。「これから帰る」と、カエルコールをするためだ。液晶画面の中に番号を見つけ発信ボタンを押した。電話を耳にあて、ふと窓の外に眼をやる。すると、クルマがいつもと違う車線に入ったことに気づいた。「運転手さん、(行き先は)槍ヶ崎ですよ」その声に非難の気持ちがなかったといえばウソになる。ただ、それほど強い口調でもなかったはずだ。それでも、事件は起きてしまった。「もしもし」家人が電話に出たのと同時に、車内の空気は一変する。すみません。もうしわけございません。ごめんなさい。ほんともうしわけない。ごめんなさい。すみません。ああ、すみません。もうしわけないです。やっちゃった。すみません。まずったなぁ。ごめんなさい。もうしわけないな。すみません。ほんと、間違いました。そう槍ヶ崎でした。すみません。ごめんなさい。いやぁ、どうしよう。すみません。うっかり。ごめんなさい。そうそう。もうしわけありません。すみません。やっちゃった。間違いです。申し訳ないことしました。・・んなさい。・・・んません。・・・けない。猛烈な早口で繰り返される謝罪の言葉の嵐。くっ、黒魔術か!時間にすれば1分もないくらい。しかし、恐ろしく長い時間に感じた。息つく間もなく、呪文は何度も何度も繰り返される。そのあまりの異常さに、ボクは言葉を失った。怖すぎるよぅ。「こっ、これから帰る。後で電話する」。家人に災いが及ばぬよう、慌てて電話を切った。電話を切ると、呪文は止まった。電話してたのが気に障ったのだろうか。それとも、心の中で何かしらの解決がされたのか。理由案が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。でもまぁ、とにもかくにも、どうやら最悪の事態は切り抜けることができたらしい。少しだけほっとした。その心の平穏は数秒しか続かなかったのだけれど・・・。タクシーが赤信号で止まる。「・・・んません」「・・・なさい」・・・気のせいかと思った。きっと耳に残った音の残像だろう、と。どうにかして、そう思おうとした。しかし、その希望もはなかくも崩れさる。「・・・ちゃった」「・・・なさい」「・・・んません」赤信号でクルマが停車するたび、聞えるか聞えないかというウィスパーボイスが、語尾の部分だけ社内にこだまする。ヤバい。殺される。まじめにそう思った。これまでにも相当キャラの立ったタクシーに乗ってきた。けれども、今回だけはまずい気がした。家に近づいたころ、クルマは警備員に静止させられる。「あのぉ撮影してるんで」そう、ここのところ我が家の近所ではドラマ「最高の離婚」を撮影している。しかし、このクルーがあまりに常識がないというか、住人の生活の邪魔をするようなことを平気でするのだった。ボクが「この先に家があるんですけど」と伝えると、「じゃあここで降りてもらえますか」と平然と言う。なぬ〜!何様のつもりじゃー!いつもなら、そう怒るだけだろう。ところが今日は違う。こっち側には、このクルマには、モンスターが乗っているのである。そう、このリーサルウェポンが!(仲間じゃないけど)運転手はギョロっとした眼で警備員を見る。「すいません。ごめんなさい。申し訳ないんですけど」呪いは車窓の外へと向けられた。いましかない。ボクは急いでおカネを支払うと、クルマを飛び降りる。少し歩いて恐る恐る振り返ると、タクシーはその場にまだ停まっていた。運転手はジッと撮影風景を眺めているようだったが、口もとは暗くて見えない。しかし、ボクの耳にはしっかりと届いていた。「すいません。ごめんなさい。申し訳ないんですけど・・・」このドラマ、見ると呪われる、かもよ。
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- 文才のあるひと
- 2013.01.16 Wednesday
- category: 雑談
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やはり文才というものはあるのだ、ということを認めざるを得ないだろう。
いま、ある女性のブログを書籍化した本を読んでいる。
数年前に発売され、ほんの少しだけ話題になった本。
これだけの実力がありながら、世の中でその著者の名が知られていないのは、そのひとがすでに故人であるからに他ならない。
わずか24歳の若さで、不慮の事故によりこの世を去った若き才能。
いま読んでいるこの一冊も、死後、家族によって編集されたものだ。
ふとしたきっかけで手に取ることになったこの本。
前半こそ気負いからくる「熱さ」に違和感を感じるが、
それもブログ開設から半年をすぎたころにはなくなり、
その後は、ただただぐいぐいと来る。
表現は多彩で、言葉の選び、並び、結びがすばらしい。
書かれている内容も、適度にミーハーで、マニアックで、
ときには過激なほど活動的だったり、一方で閉鎖的だったり。
背伸びも委縮もない、20代のリアルな人間像が見事に描かれているのだ。何気ない出来事を、何気あるように書き、何気ないように読ませる。これは相当の力量を要する。
それでいて、ひとつひとつの事象に対する考察も深いから困る。
こんなことを20代そこそこの人が考えて、ここまで表現できるなんて……自分に置き換えて考えるのが嫌になる。
同年齢のころの自分はといえば、ただただレアな古着を、変な形の腕時計を、かわいい女子を、探すだけの人生だったのだから。
(いや、それを極めている人は、それはそれですごいのだけれど、
自分の場合は極めて中途半端だった、といま振り返って思うのである)
この一冊にまとめられたブログは2000年代前半に書かれたものだ。
00年代前半といえば、自分もブログはミクシィを使って、仕事以外の文章を書き始めているころである。当時の自分は30歳。著者よりは6歳上。社会人経験も深まり、すでに記者として小活躍しているころだ。
いや、もしかして、ボクにだって、きらりと光る文章が少しくらいは書けていたのではないか。俺だって、小美町(同級生7人)の振動、いや神童と言われた、言われたかもしれない男じゃないか。74番地のアンファンテリブルだったじゃないか(当時74番地には我が家しかなかった)。
そんな期待が頭をよぎる。
圧倒的な文才を前にしたボクは、窮鼠猫を噛むとばかりにいきがってしまった(だれもボクを追い込んでもいないのに!)。そうしてボクは、よせばいいのに、自分のブログの過去記事をあさってしまったのだった。
そこにあったのは、別の意味で驚かざるを得ない文章の数々。なんたるミクロな世界観。
俺の本は今後も出ることはないだろう。そう強く確信したのだった。
以下に、その一端を添付しよう。大いなる反省材料として。#####ある日の日記「悪夢からの目覚め」########カーテンの隙間から差し込む薄明かりで目を覚ます。
身体にはじっとりとした汗。
夢だったのか・・・
頭ではそう理解しつつも、
あの惨劇が、夢の中の話だとはとうてい思えない。
それほどまでに鮮明に頭に残る記憶。
しかし、身体全体に意識を集中しても、
あのとき起きた変化は、実際の身体には起こっていないようだ。
朝5時。今日は嫌な気分で幕を開けた。
僕が見た夢はこうだ。
(以下はグロテスクな表現も含まれるため、 ホラー系が苦手な方、食事中・食事直後の方は
読まない方がいいかもしれません)
登場人物は中学時代の同級生、「あきしん」と「ひらきん」。
いまだに親交のある二人だが、ここ1年ほどは 実際に会うことはなく、たまに電話をする程度の付き合いだ。 お互い30歳を超え、あきしんは既に家庭を持っている。 夢の中の二人も、子供のころの姿ではなく、 すっかり大人の雰囲気を漂わせていた。
その日、なぜか3人は、珍しく旅行に出かける事にした。 日々の疲れを、旅で癒そうというのだ。 観光を終え、宿についたころには太陽は沈みかけていた。
「とりあえず風呂でも浴びるか」
誰彼ともなく提案された一言。
まさか風呂場が惨劇の舞台となろうとは
そのときは、まだ誰も気づいてはいなかった。
あきしんとひらきんが着替えに手間取る中、 僕は一足先に湯船へと滑り込んだ。
お湯加減は最高。疲れた身体がゆっくり弛緩していく。
「ふぅ〜極楽、極楽」
言葉を発した瞬間、極楽は地獄へと変わった。
そう、こともあろうに僕は、
不覚にも湯船の中で「う○こ」さんをしてしまったのだ!
長さは20cm程度、硬度はバリ硬。
重量はやや重で水面までは浮かんでこない。
なぜ、こんなところで!
こんなにも立派なものが!!
心の中でそう叫ぶも、後の祭りである。
「まずい、二人が来る前にどうにか処理せねば」と焦るが、
気がつけば二人は湯船の向こうでこちらを見ている。
あきしん「なんか臭くね?」
僕「いや、そんなことないんじゃん」
あきしん「いや、臭い。誰かう○ちしたんじゃねーの」
ひらきん「なっちゃんの方から臭う」
・・・
・・・
なぜ、
なぜ水の中なのに臭うんだ・・・
とっさに僕は言い訳をした。
「でかいやつじゃないんだ、おならをしたら みずっぽいのが霧のように・・・」
僕は嘘をついた。
苦し紛れに嘘を。
「大きくない」「固形じゃない」、そう必死に訴えた。
二重、三重に塗り重ねられた嘘。
それでも、ブツの存在だけは知られたくなかった。
(いま思えばどっちでも同じような気もするが・・・)
すかさず、あきしんが僕に尋ねる
「いい方のう○ちか、悪いほうのう○ちか」
・・・意味不明である。
しかし、その時の僕にはその問いの意味が分かっていた。
僕「悪くない。今日は野菜しか食べてないから、臭いはほとんどないんだ」
その言葉を聞いて、なぜか安心した様子のあきしん。
これで最悪の事態はまぬがれた・・・(謎)
そう思った矢先、ひらきんがボクの方を指差した。
「なっちゃんのそこにあるのは・・・やばいよそれは」
万事休す。
とうとう見つかってしまったマイボーイ。
ひらきんがさらに僕を責める
「やばいってそれは」
僕は必死で排水溝から流そうとするが、 二人はそれを許さない。
ひらきんは、マイボーイを桶で救うと再びあの言葉を言う。
「やばいって」
もう終わりだ・・・僕は風呂の中でう○こ(固形)を しただけでなく、それを隠そうと嘘までついてしまった。
俺はなんてちっぽけな人間なんだ・・・。
ブツを見てあきしんがうなずく。
「これは良い方だから大丈夫、昼間のナタデココが そのまま残ってる」
頼む、友よ、それ以上は見ないでくれ!!
次の瞬間、僕はベッドの上にいた。
もちろんう○こは漏れてない
人生最悪の悪夢。
今日は1日、仕事に身が入りそうにない。
実も出ちゃったことだし。
※これはあくまで夢の中での話であり
実在の人物とは関係ありません。合掌!! - comments(1), trackbacks(0), -
- 体罰の思い出
- 2013.01.14 Monday
- category: 雑談
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窓の外では大雪が降っている。早朝から降り始めた雨は、気がつくと白い結晶となり、昼をすぎたころには驚くような厚みにまで積もっていた。ベランダの手すりには、まるで霜で埋め尽くされた冷凍庫のように白い塊が何層にもなってこびりついている。部屋から少し離れた山手通りでは、救急車のサイレンが絶えず鳴り響くけれど、雪のせいでできた渋滞に、なかなか前に進めないようだった。昼ご飯を食べに出たら、目黒川沿いでタクシーがスリップしていた。エンジンをウィンウィンやるけれど、なかなか前に動き出せない。見かねた通行人のお兄さんが後ろから押してやると、タクシーはゆっくりと前に進み始めた。してやったりとニンマリするお兄さん。振り返り立ち去って行くお兄さんの背後では、そのタクシーが再び雪にはまり、立ち往生していた。キレイなおネイサンが、すれ違い様に「スゴい雪ですね」と声をかけてくれる。強烈な自然の猛威を前に、ひとは仲間意識を持つのだろうか。カウブックスは今日は休み。ツイッターでその知らせを知ったときには、「おいおい、こういう日にこそコーヒーでも飲みながら本探しをしたいのに」と思ったのだけれど、昼ご飯を食べに出て、それどころじゃないことに気づく。恵比寿ではリムアートも休み。そりゃ、当然です。東京では成人式の日によく雪が降る。そんな気がする。それとセンター試験の日。成人式とセンター試験の日に、たまたま大雪が降った日があって、特に記憶に残っているだけなのかもしれないけれど、雪と成人式はなんだかとってもよく似合う気がする。自分の成人式は岡崎だった。ボクは鶴瓶みたいなモジャモジャパーマに英国古着のスーツを着て行った。サスペンダーで吊るやつ。周囲から見たらかなり浮いていただろうな。当時は「久々に会うあの子にいいとこ見せたい」という思いがあったはずなのだけれど、その思いは大きく空回りをしていた。どちらにしても、寒くはあったが、雪は降っていなかった。センター試験はどうだっただろう。センター試験のときも東京にはいなかった。それなりに真剣に受けたはずのセンター試験だけれど、それなりはやっぱりそれないでしかなく、たいした結果も出なかった。私立志望だし、そんな思いがどこかにあったのは事実だ。あのとき、東京では雪が降っていたのだろうか。ボクにはまったく記憶がない。そう思うと、成人式やセンター試験と雪との相対関係は、やっぱり単なるイメージなのか。シュンギクは部屋の中で何食わぬ顔でベトーっと床暖房に寝そべっている。抱きかかえ「おい、雪スゴいぞ」と窓を開けてやっても、ただただ迷惑そうにするだけである。「俺は犬じゃない。こたつがあれば丸くなりたい」そんな顔をしている。シュンギクを抱きかかえながらボーと外の景色を眺めていると、次の瞬間、ベランダで雪の塊がくだける音がした。シュンギクは抱きかかえられた腕を振り払うと、あわてて音のしたベランダ側の窓に走りよった。まんざらきらいじゃないんじゃん、雪。本当のところ、このブログでは体罰のことを書こうとしたけれど、雪を眺めていたら、思いのほか時間が経ってしまった。これから雪の中を外出せねばならない。ということで、体罰の話はまた今度。
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- ビミョーなタイミング
- 2013.01.14 Monday
- category: 雑談
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タイミング的にかなり微妙な広告。税金もかえさないとね。
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- デリバリー談春
- 2013.01.13 Sunday
- category: event
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年が明けたというのに、演目は「芝浜」だった。昨年『モメンタム』で取材をさせていただいて以来、すっかりファンになってしまった立川談春師匠。その独演会「デリバリー談春」へと行って来た。芝浜といえば、年末が舞台。にもかかわらず新春のネタに選ばれたのは、単に談春さんがあまのじゃくだからというだけでなく、会場が師匠・立川談志のお膝元、練馬文化センターだったことが大きく関係しているのだろう。談志のホームグラウンドであるこの地でやるからには、はやり談志の十八番だった「芝浜」がしっくりくるのだ。とはいえ、今夜見ることができた談春版「芝浜」は、筋は同じでも談志のそれとはまったく異なるものだったけれど。個人的には、談志の「芝浜」よりも談春さんのほうが好きだ。講演終了後、舞台裏へと挨拶に伺った。正直言えば、一度取材しただけだし、もう覚えていないのではないかと少し不安だったのだけれど、「あの文章は面白く書けてたね、面白かった」「鬼海さんいいよね、自転車こないとシャッター切らないんだもん」(モメンタムの撮影は鬼海弘雄さんが担当した)などと覚えてくださっているだけでなくしっかり褒めてくださってニンマリ。まぁ、ライターと写真家さまさまなのだけれど、やっぱり嬉しかったです。帰り際には、「今度は鬼海さんとぜひ来てくださいよ」と声をかけていただいた。この春は今日をのぞいて既に3講演のチケットをとってあるので、どこかでぜひ鬼海さんと伺いたいと思う。写真は安藤一門から立川一門への鞍替えを考えている、春菊さん。春菊の春は談春さんからいただいた。ということにしようと思っている。
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